【ラスコフは誤ったか】
1929年の夏、ジャーナリストのサミュエル・クロウサーはゼネラル・モータースの財務担当役員ラスコフに、「一般人が株式投資で富を築く方法」を尋ねた。その年の8月、このインタビュー記事は、「誰でも金持ちになれる」という大胆な見出しで主婦向けの雑誌レディース・ホーム・ジャーナルに掲載された。
ラスコフは、米国の工業化が飛躍的に進展しつつあると指摘し、毎月15ドルの優良株への投資が20年後には着実に8万ドルになると語った。年率24%もの利回りは前例のないほど高い数字だったが、強気相場に沸いていた1920年代にあっては、労せずして大金を得る方法として魅力的に聞こえた。投資家は株に熱狂し、何百万人もの人々が手っ取り早く利益を得ようと貯蓄を株式に注ぎ込んだ。
1929年9月3日、ラスコフのインタビュー記事が掲載されてから数日後、ダウ工業株平均は歴史的高値381.17ドルをつけたが、その7週間後に暴落した。続く34ヶ月間で、株価は米国の歴史でも類を見ないほど大幅な下落を記録した。1932年7月8日、暴落の嵐は去ったものの、ダウ平均は41.22ドルにまで下落していた。米国の優良企業の株式価値は実に89%も低下。株式投資に注ぎ込まれた何百万人もの貯蓄が吹き飛び、借金をして株式を買っていた投資家は破産し、米国は未曾有の大不況に陥った。
ラスコフは激しい非難を浴びることになり、その後数年にわたり糾弾された。株式投資に内在するリスクを無視し、株価は永遠に上がり続けると盲信した愚か者というのが彼に下った評価だった。インディアナ州選出のアーサー・ロビンソン上院議員などは、株価がピークにあるときに投資家に買いを勧めることによって株式市場の暴落を招いたとして、ラスコフの責任を追求した。それから63年後の1992年、フォーブスは「大衆の妄想と群衆の狂気」と題した記事で株式価値を過大評価する危険性を指摘し、過去の米国株価の周期を検証するなかでラスコフを「株式投資を、富を保証する道具と断言した最悪の犯罪者」と名指しした。
ラスコフの大胆な投資アドバイスは一見、定期的にウォール街に現れる強気な株マニアの意見を集約したもののように見える。しかし、彼の相場見通しをこのように評価することは、はたして正しいのだろうか。答えはノーである。ラスコフの助言に従い、毎月15ドルの投資を辛抱強く続けていれば、実は4年以内に短期国債(財務省短期証券)を超える利回りを手にすることができたのだ!投資元本は1949年には9000ドルにまで膨らみ、年率利回りは7.86%と、債券の2倍以上になっていた。30年後には6万ドルを超え、年率利回りは12.72%に上昇したはずだ。ラスコフが予想した利回りには及ばないが、この30年にわたる株式投資によるトータルリターンは長期国債の8倍以上、短期国債の9倍以上であった。株価暴落の危険性を理由に株式投資を拒んだ投資家たちは、辛抱強く株式を買い増していった投資家に大きく遅れをとったのである。(P.2〜3)
【株価は長期的には安定して上昇してきた】
過去200年間、米国株の実質利回りは複利ベースで年率7%を記録し続けてきた。株式の利回りが高く、長期的に安定している理由は明らかではない。分かっているのは、株式の利回りが資本の質と量、生産性、リスクとリターンの関係に左右されるということだ。 一方、株式価値を高める要因には、優れた経営、財産権を保障する安定した政治体制、競争環境の下で消費者により良い商品を提供できる能力も含まれる。政治的あるいは経済的な危機は、時に投資家を市場から遠ざけ、株式相場の下落を招くこともあるが、経済成長をもたらすファンダメンタルズさえしっかりしていれば、長期的には株価が回復する。おそらく、これが過去200年間の政治的、経済的な混乱にもかかわらず、株価が長期的に安定して上昇を続けてきた理由だろう。(P.19)
【株式の実質利回りはインフレ率を上回る】
保有期間が長くなるにつれて、株式の実質利回りの最高と最低の差が、長期・短期の債券と比べて劇的に縮むことに注目してほしい。1年や2年といった短期間で見れば、確かに株式投資のリスクは長・短期債よりも高い。しかし、1802年以降では保有期間が5年を超えると、株式の実質利回りは最低でも-11%であり、同じ保有期間の長・短期債の実質利回りを若干下回るだけである。保有期間が10年間を超えると、株式投資の最低利回りは長・短期債よりも高くなる。20年保有すると、株式の実施利回りはインフレ率を下回ることはないが、長・短期債の最低利回りはインフレ率を3%も下回っている。20年間、年率で3%ずつ負け続けると、20年後にはポートフォリオの購買力は半分程度になってしまう。さらに、30年間株式を保有すると、最低利回りはインフレ率を2.6%も上回る。この値は、確定利付き資産を30年間保有した時に得られる平均利回りと比べても遜色がない。(P.24)
【高値圏で買ってもOK】
長期投資では株式の利回りが他の金融資産より高いことをよく理解している投資家でさえ、株価が高値圏にある時には買ってはいけないと信じている。しかし、長期投資の場合、この考えは間違っている。図2-2のは、過去100年に訪れた8回の株価のピーク時から10年、20年、30年の期間にわたって、それぞれの金融資産を保有した時に得られた実質利回りを比較したものである。株価がピークにある時に投資を始めたとしても、株式の利回りが他の金融資産の利回りを上回ることがわかる。保有期間が30年に及ぶと、株式の利回りは長期債の4倍以上、短期国債の5倍以上になる。20年間では、株式の利回りは債券の2倍となる。株価のピーク時から10年という比較的短い保有期間でも、株式の利回りは債券の利回りを若干上回っている。株式を購入するには最も不利と思われる時期に投資を始めても、こうした結果が得られるのである。向こう5〜10年の間に生活費などのために資産を取り崩す必要がないのであれば、たとえ株価がどんなに高値に見えても、長期でものを考える投資家にとって、株式への分散投資を極端に減らす必要がないことは、過去を振り返っても明らかである。(P.26)
【セクターの拡大縮小はあまり関係ない】
過去50年間にあるセクターの拡大または縮小がそのセクターの利回りに与えた影響は、20%に過ぎないことが明らかになった。これは、各セクターにおける投資家の利回りの80%が、そのセクターの企業の評価に基づいており、その産業が他に比べてどれだけ拡大したかという点はあまり重要ではないことを意味する。急成長するセクターはしばしば、投資家に非常に高い株価を支払わせようとするが、このことが利回りの低下をもたらすことになる。結果として、最高の価値は、投資家に無視され、ファンダメンタルズの割には株価が安くなっている停滞気味のセクターの中に見つかることが多い。(P.57)
【急成長企業は割高】
最初のS&P500構成銘柄の素晴らしさは、、これらの 500銘柄を購入し、その後の50年間に指数に追加された約1000社のいずれの株式も購入しなければ、構成銘柄の入れ替えがあるたびにポートフォリオを更新した場合よりも利回りが高かったという事実が証明している。最初の500銘柄の利回りは11.72%で、更新を続けた指数の利回りは10.83%だった。この年間利回りの差が50年にわたって蓄積されると、最初の構成銘柄に投資した資金は、更新した指数に投資した資金の1.5倍になる。どうしてこのようなことが起こったのだろうか。米国の経済成長の原動力となり、世界で 傑出した経済大国へと押し上げた新しい企業が、古い企業よりも低い利回りしか達成できないのはなぜだろう。答えは簡単である。新しい企業の利益と売上高は古い企業よりも急速に増加したが、投資家が新しい企業の株式を購入するために支払った金額が高すぎたために、高い利回りを得ることができなかったのである。(P.68)
→時価総額はときとして、投資家の根拠なき楽観主義によって膨らむものである。
【古くから続くブランドも利益を生み出している】
最初の500銘柄を研究することによって、米国経済が過去半世紀に経験したドラマチックの変化が何を意味するのか理解できる。最も高い利回りを生み出した企業の多くが、いまだに50年前と同じブランドを提供し続けていることは 注目に値する。ほとんどが、ブランド力を生かして国際的に事業を拡大した企業だ。ケチャップのハインツ、ガムのリグレー、コカ・コーラ、ペプシコーラ、トッツィーロールズといった有名ブランドは、これらのブランドが誕生した当時ー100年以上も 昔から存在するブランドも少なくないーと変わらないくらい、今でも十分に利益を生み出している。(P.69)
→明治時代から続く財閥系企業が今も利益を生み出し続けているのに似ている。
【将来の企業価値】
ある企業の株価が100ドルで、1株当たり利益が株価の10%、つまり10ドルだとする。リスクを考慮すると、この水準は投資家が株式に要求する利回りと同等である。ここで、この企業が全ての利益を配当として支払うとすれば、毎年、1株あたり10ドルを支払い続けることになる。こうして毎年支払われる配当を年10%で割り引くと、総額は100ドルに相当する。一方、企業が配当を支払わずに、すべての利益を同じく10%の利回りをもたらす資産に投資したとしても、企業価値は変わらないはずだ。ところが、投資した利益は2年目には1株当たり11ドル、3年目には12ドル10セントへと増え続ける。こうして、将来の1株当たり利益を10%の割引率で累積していくとその現在価値は無限大となるが、これは明らかに馬鹿げた企業価値である。つまり、配当として支払われない利益を割り引く方法は間違っており、企業の価値を過大評価することになる。この例の場合、利益を10%の利回りで再投資しようが、配当として株主に支払おうが、企業の価値は常に1株あたり100ドルである。(P.111)
→企業が内部留保して事業に再投資すれば、それが利回りの向上につながるという根強い主張があるが、企業が常に最適な投資を行うとは限らない。将来の株価を、将来の利益から予測することは、占いに等しいのである。
【アクルーアルで利益の質を見る】
スタンダード・アンド・プアーズのコア利益の他に、利益の質を測定するもう一つの方法として、会計上の利益からキャッシュフローを差し引いた金額の累積を調べるというものがある。この累積額が膨れ上がっている企業は、利益を操作している可能性が高く、いずれ問題が生じる可能性が高い。反対に、累積額が少ない企業は、利益を手堅く計算している可能性が高い。累積額が少ない企業の方が累積額の多い企業よりも 株式利回りが大幅に高いという証拠がある。ミシガン大学のリチャード・スローン教授は、累積額の増加は結果として利益と利回りの低下をもたらすという事実を始めて指摘した。スローン教授が1962年から2001年の期間を対象に調査した結果、利益の質が最も高い(累積額が少ない)企業と利益の質が最も低い(累積額が多い)企業との利回りの格差が年間18%にもなるという驚くべき事実が判明した。それにもかかわらず、ウォール街のアナリストは、将来の利益成長を予測する際にこの累積額を考慮していないという事実も明らかになった。たとえ誠実に行うにしても、利益の決定には常に予測が伴う。それでも、キャッシュフローは利益のように簡単には操作できず、この点では配当と同様である。(P.119)
→アクルーアル(会計発生高=税引後利益−営業CF)がマイナスである企業は、利益の質が高いという判断方法そのもの。長期投資において、重要な観点と言えそうだ。
【高齢化経済の解決法】
高齢化経済のための解決法は存在する。途上国には、先進国より豊富な若年層が存在している。年齢構成の違いは、取引のための機会を提供する。若い途上国で生産された財は、高齢な先進国の資産と交換可能ということだ。このような取引は新しいものではない。材と資産の交換は歴史を通して行われてきた。最初に、家族間(両親が老後の面倒を見てもらう代わりに子供に遺産を残す)で行われ、それが、一族、コミュニティ、国会と拡大した。まもなく、それは世界規模で行われるだろう。途上国は財を提供する代わりに我々の資産を獲得し、我々の高齢化した労働力の穴埋めをすることになる。(P.147)
【配当利回り∝トータルリターン】
配当利回りが高いグループほど、配当利回りの低いグループよりも、確実に高いトータルリターンを投資家に提供しているのだ。例えば1957年12月末にS&P500指数ファンドに1000ドル投資していたら、その価値は2006年末には 17万6134ドルになっていた。これは 年率利回りの平均が11.13%であることを意味する。けれども、同じ時期に配当利回り上位100銘柄(配当利回りが最も高いグループ)に1000ドル投資していれば、67万5000ドルを超えて、年率利回りは 14.22%になっていた。(P.157)
【成長株・割安株の基準】
投資家は「成長株」や「割安株」を選択する際に、こうした分類が、業種や製品といった企業に固有の特徴とは何も関係がないということを頭に入れておくべきである。「成長」とか「割安」というのは、利益や配当といった企業価値のファンダメンタルズに比べて 市場価値(株価)が割高か割安かを表しているに過ぎない。たとえ高成長が期待できそうな情報技術セクターの企業でも、投資家に人気がなく、ファンダメンタルズに比べて株価が割安であれば、割安株として分類される。一方、産業として成熟し成長が頭打ちだと思われがちな自動車メーカーでも、将来が有望で投資家の人気を集め、ファンダメンタルズに比べて株価が 割高であれば、成長株として分類される。株価というのは時間とともに大きく変動するものなので、これまでにも同じ業種や同じ企業の株式が、ある時期には「割安株」として分類され、別の時期には「成長株」として分類されてきた。(P.169)
【長期なら大型株】
投資家は、常に市場を上回る利回りを獲得できる戦略など存在しないことを認識すべきである。小型株は時として高騰することがあり、その結果として長期的な利回りが大型株を上回ることがあるが、それ以外の期間では大型株の利回りにかなわない。割安株も、弱気相場では株価が好調に推移する傾向にあるものの、強気相場の後半では成長株の利回りを下回ることが多い。高利回りを狙う戦略を取るのであれば、投資家には忍耐が必要になる。(P.172)
【国別分散からセクター別分散へ】
私は、国際投資におけるセクター別分散は、今後、国別分散よりも盛んになると考えている。企業の海外生産比率が高まり、海外からの収益が増加するとしても、各国政府の規制や法制度は無視できない問題である。しかし、企業が本拠地を置く国の影響は、グローバリゼーションが進むにつれて薄れていくだろう。私は、将来、国際企業は国家間で合意された国際ルールによって統治されるようになると想像している。これは、国ごとの独自基準ではなく、国際会計基準審議会(IASB)が採択した国際会計基準を採用する企業が増えている状況に似ている。国際企業が目立ってくれば、企業がどの国に本拠地を置くか二次的な問題となり、グローバル セクターを基準とした分散投資が主流になるだろう。つまり、その企業が何を生産し、何を流通させているかを基準にポートフォリオが構成されるということである。その場合、米国企業だけを対象としたポートフォリオは非常に視野が狭いものになるはずだ。(P.186〜187)