ねこみんの投資生活

ふつうの塾講師が適応障害をきっかけに投資を勉強していくブログです

【読書52冊目】生涯投資家 村上世彰

村上世彰のライフワーク】
企業にとってのお金は、人間の体で言うなら 血液だ。血液の流れが滞ると、身体全体に悪い影響が出る。企業が成長のために投資をしたり、投資家が新しい事業に投資をするには、いずれもお金の流れが 潤滑 であることが大切なのだ。にもかかわらず日本の上場企業には、使う 当てのないお金がたくさん 蓄えられていた。この「遊休資産」を活用していくことが、企業の価値向上につながるという意味で、株主としてのコーポレート・ガバナンスの重要な課題であり、自分のライフワークとなっていった。
そもそも 投資とは何かという根本に立ち返ると、「将来的にリターンを生むだろうという期待をもとに、資金(資金に限らず、人的資源などもありうる )をある対象に入れること」であり、投資には必ず何らかのリスクが伴う。しかしながら投資案件の中には、リスクとリターンの関係が見合っていないものがある。それを探し、リターン>リスクとなる投資をするのが 投資家だ。
私はこのリスクとリターンの関係を、「期待値」と呼んでいる。期待値が大きくないと多くて金銭的な投資する意味がない。そこを的確に判断できることが、優れた投資家の条件だ。期待値を的確に判断するためには、数字だけではなく、その投資対象の経営者の支出の見極め、世の中の状況の見極め 等、実に様々な要素が含まれる。(P.11)
 
【上場の意義はあるか】
私は自分の投資先に対して、一緒に MBO をして 非上場化するという提案を繰り返し 行ってきた。私が投資する企業は、現預金をたくさん 保有していたり、財務状況もよく、銀行からの借り入れ 予約もあって、直接金融で資金を調達する必要のない企業がほとんど なので、上場している意味が見出せないからだ。さらに当店株価が長年 低迷しているような会社は、 MBO によって 株価に一定のプレミアムをつけ、株主に売却の機会を提供することもできる。これは、株主にとっても望ましいことだと考えていた。
しかしこのような企業に非上場化の提案をするたび、「確かにあなたの言うことは 一理あるが、上場していることによる信用力がなくなるのではないか」とか、「取引先との関係が維持できない」などの理由で断られてきた。(P.25)
MBOマネジメント・バイアウト、経営者が中心となって自社株を買うことで非上場にすること。
 
【コーポレート・ガバナンス】
コーポレート・ガバナンスとは、投資先の企業で健全な経営が行われているか、企業価値を上げる=株主価値の最大化を目指す経営がなされているか、株主や企業を監視監督するための制度だ。根底には、会社の重要な意思決定は株主総会を通じて 株主が行い、株主から委託を受けた経営者が株主の利益を最大化するために経営をする、という考え方がある。経営者と株主の緊張関係があってこそ、健全な投資や企業の成長が担保できるし、株主がリターンを得て社会に再投資することで、経済が循環していくメリットがある。日本でも コーポレート・ガバナンスの意識を高めることが、日本経済全体の健全な発展のために必要だと、その当時から私は強く信じていた。(P.31〜32)
 
【期待値による投資】
私の投資スタイルは、割安に評価されていて、リスク度合いに比して高い利益を見込めるもの、すなわち 投資の「期待値」が高いものに投資することだ。投資判断の基本はすべて「期待値」にある。色々な投資案件において、極めて冷静に分析や研究をして、自分独自の「期待値」を割り出している。例えば、100円を投資する場合の「期待値」の計算方法は、次のようになる。
・0円になる可能性が20%を、200円になる可能性が80%であれば、期待値は1.60(0×20%+2×80%=1.60)
・0円になる可能性が50%を、200円になる可能性が50% 出れば、期待値は1.0。
・0円になる可能性が80%、200円になる可能性が20% 出れば、期待値は0.4。
期待値 1.0を超えないと、金銭的な投資する意味がない。この「期待値」を的確に判断できることが、投資家に重要な支出だと私は考えている。ちなみに多くの投資家は、0円になる可能性がある程度(20%以上)ある場合は、投資をしない。また、負ける確率が5割以上と考えた場合も投資をしない(例えば、5回投資して2勝3敗以下と予想される場合)。このように、リスクが高い場合や勝率が低い場合には投資を避けるのが普通だが、「期待値」と勝率は別の概念だ。勝率が低いと言われる場合でも、自分なりの戦略を組み立てることで、勝率は変わらなくても、期待値を上げることはできる。(P.60〜61)
 
【食事代当てゲーム】
私は家族で食事に行くと、よく「食事代当てゲーム 」をする。至ってシンプルなゲームで、レストランに行った時に際に食事代がいくらだったかを当てるゲームである。家族はそれぞれに予想値を発表するが、他の参加者とは 500円以上の差をつけた金額で申告しなくてはならず、最終的には予想金額が実際の金額に近かった参加者が、賞金をもらうことができるというルールにしている。
家族でこのゲームを行う時には、私を含め子供たちも、まずはメニューを見て、自分が頼まないものであっても、できる限り価格を記憶するようにしている。そして食事の会計の直前、じゃんけんで順番を決めて、注文した食事の総額の予想をそれぞれに申告する。ここで、申告する予想金額は「他の参加者とは 500円以上の差をつけなくてはならない」というルーがあるため、自分が思った金額を申告するだけではなく、すぐに他の人によって申告された金額と、自分が進行する金額によって、自分より後に申告する人たちの予想金額に一定の制約を課すことができるのだ。だからそれぞれに、いくらと発表すれば自分の予想金額から他の人の予想金額を離し、自分の予想金額は実際の金額に近くなる可能性を高めるかを考えて申告する。私は教育方針上、子供達にものの値段と、それに対する食事の質やサービスの質との天秤を頭の中で考えさせるいい機会だと思っているし、自分がいくらと予想するか、相手がいくらと予想するだろうか、などと周りを見渡し考えることは、将来的により正確な期待値を導き出す下地を作ることにつながっていると考えている。私がいかに 期待値というものを重要視しているか、お分かりいただけるだろう。(P.63〜64)
 
【鉄道事業の利益構造】
鉄道事業は、基本的に赤字にならない仕組みだ。鉄道事業法鉄道営業法という法律の下、必ず利益が出る運賃設定になっている。同時に公共性の高い事業ゆえ、利用者を保護する目的で、事業にかかるコストを無制限に運賃に転嫁できない決まりもある。鉄道事業法の第16条2項は、鉄道会社の設定する運賃の上限について、国土交通大臣が審査した上で認可を行うと定めているのだ。
要するに 鉄道事業 は、よほどおかしな 設備投資や 経費の計上を行わない限り、必ず利益を生み出す。ただし生み出せる利益の範囲は限られている、ということだ。鉄道会社をこうした特殊なコア事業を運営しつつ、多くの駅や線路の周辺に所有してきた広大な土地を利用して、不動産事業を軸に、デパートやホテル 事業も展開している。どの鉄道会社も、収益の内訳を見ると、鉄道事業の割合は次第に低くなっていることがわかる。(P.142)
 
企業価値を自分の目で見極める】
どんな案件でも同じだが、私は 投資先の不動産を見に現地へ足を運んだり、運営しているレストランへ 食べに行ってみた りと、その価値を見極めるために自分自身で動く。西武鉄道に関しても、有価証券報告書の分析をベースに、保有不動産の登記を行った上で現地へ行ったり、使用ホテルの稼働率や状況を自分の目で確かめるため、ロビーに長い時間座って観察した。西武電車に乗って遊園地にも行ってみた。電車の車両は 新規投資が行われていないようで古く、遊園地 も少しさびれていた。ただし資産の中で売るべきものを売り、追加投資すべきところには積極的に投資をしながら、全体的に有利子負債を減らし、資産効率を改善すれば大きな利益を上げることができると考えた。再建にかかる ファイナンスにも協力したいと思っていたし、事業のポイントを絞って経営資源を投入することで、西部 グループの価値を本来あるべき姿に戻し、さらに成長させることができると、絶対的な自信が湧いてきた。(P.147〜148)
 
【日本企業はそもそも割安】
日本企業のコーポレート・ガバナンスへの対応の遅れは、株式市場の成長において、数字としてはっきり 現れている。日本の株式市場の規模は、およそ500〜600兆円。アメリカの株式市場の規模はおよそ2000兆円 だから、日本の3〜4倍の規模となっている。
しかし上場している企業数は、いずれも二千数百社と対して変わらない。違うのは 株価純資産倍率(PBR)だ。日本のTOPIX企業の平均の PBR が1から1.3倍程度なのに対し、米国の S&P500の PBR は3倍弱となっている。このPBRの値を市場全体に当てはめてみると、大雑把な計算だが、日本の上場企業の純資産と米国の上場企業の純資産は、ほぼ変わらないことが分かる。
これは純粋に、同じ規模の純資産を保有する企業であるにも関わらず、日本企業の価値は株価に反映されていないということを意味している。日本の企業が将来的に、現在の資産 以上の価値を生み出すと期待されていない、と言い換えることもできる。
(P.211〜212)
→日本企業はその価値に対してそもそも割安といえる。
 
【伊藤レポート】
2012年から第2次安倍政権は、日本経済の復活に向けて、企業の国際競争力を高めるためには収益力の向上が必須であり、そのために コーポレート・ガバナンスを強化するという構想をスタート。翌年、アベノミクスの3本目の矢である「日本再興戦略」が閣議決定された。
投資家のためのスチュワードシップ・コード、企業のためのコーポレートガバナンス・コートが制定され、その2つのコードをつなぐ位置づけで二〇一四年に「伊藤レポート」が発表された。一橋大学大学院商学研究科の伊藤邦雄教授が座長を務めた、経済産業省の「持続的成長への競争とインセンティブ〜企業と投資家の望ましい関係構築〜」プロジェクトにおける、1年間の議論をまとめた最終レポートだ。「企業と投資家と、企業価値と株主価値を対立的に捉えることなく「協創(協調)」の成果として持続的な企業価値向上を目指すべき」という概念を示し、「中長期的に ROE向上を目指す「日本型ROE経営」が必要」だとした上で、「8%を上回るROEを最終ラインとし、より高い水準を目指すべき」と、具体的に数値目標も掲げている。(P.217〜218
→株主還元を進める企業が、これを機に少しずつ増えてきている。
 
【資金の循環が国の発展を促す】
資金の循環を促す きっかけとなるのは、まずは企業がコーポレートガバナンスコードに則り、投資や株主還元を行って手元資金を放出しながら、余分な手元資金や銀行からの借り入れで賄った資金を、昇給 や 新規雇用へ積極的に回すことだ。その結果、新たな仕事が生まれたり、リターンを受けた投資家が 次の投資先を探したり、昇給や仕事を新たに得た人々がお金を使うようになる。こうして契機が動き始めて市場を活性化してくると、個人も銀行に預金することだけでなく、株式投資を行ったり、不動産へ投資したり、という新たな動きが生まれる。その動きの一つひとつから、新たな税収が生まれる。この税収の増加が歳入と歳出のギャップを縮めていき、しばらくはこの縮まった分で借金の返済が進む。借金の返済がすれば、歳出における国債費の比重が減少し、その分を将来への投資となる文教及び科学振興費などに回す好循環が可能になっていくのだ。(P.255〜256)
 
村上ファンド事件の真相】
私のファンドマネージャーとしての人生は、2006年にインサイダー 容疑で逮捕された時に幕を閉じた。「儲ける」という行為を否定されてしまったため、投資に限らず、何の事業もできない状態となってしまった。一体この先、毎日何をして生きていけばいいのか、日本のために これから何ができるのか、と失意の中で考えてきた。
私がどんな容疑で逮捕され、裁判で有罪となったのか、当地でさえ 正確に理解していた人は少ないだろう。「あれだけ目立ったあげくに捕まったのだから、たくさん悪いことをしてお金を貯め込んだせいに違いない」と思った人がほとんどではなかったか。
ライブドア堀江貴文氏が私に言った「ニッポン放送の株式を5%以上買いたい」という趣旨の言葉がインサイダー情報に該当するとされ、その情報をもとに株の取引を行って利益を上げたという 容疑で、私は逮捕されたのだった 。しかし実現可能性がほとんどないような情報が「インサイダー情報」にあたるのだろうか。さらに、言葉のイメージの問題ではあるが、私は会社の内部から情報を得たわけではないので、「インサイダー取引を行った」と言われることには正直、非常に違和感がある。
ファンドマネージャーだった当時の私は、投資先の経営者や 関係者と話す際に、自分自身にも社員にも「インサイダー情報は 絶対もらわないように」と十分すぎるほど注意を払っていた。万が一、相手が何か 口を滑らせてしまったら即座に取引を止め、その情報を公開するように請求し、公開されるのを待ってから取引を再開した。ルールを守ることについては、人の何倍も気を使ってきた。
あの時の堀江氏の話は、ニッポン放送内部の未公開情報ではないし、当時のライブドアの財務状況を考えれば実現にはほど遠かった。言わば 彼の「夢」や「願望」にすぎず、インサイダー情報に該当するなど 予想もしなかった。該当すると思っていたら、すぐに対応したはずだ。実際にその後、堀江氏が「外国人から株を買いたい」と具体的な依頼をしてきた時点で、私は即座にニッポン放送株の取引を停止するよう社内に命じている。
だから私は裁判で、「誰かがどこかの会社の株を5%以上買いたいと言っているのを聞いたら、その誰かの経済状況や実現可能性にかかわらず、インサイダー情報とみなされるのか」という点を争った。しかし 5年もかかって確定した判決は」公開買付等の実現を意図して、公開買付等 またはそれに向けた作業等を会社の業務として行う旨の決定がされれば足り、公開買付等の実現可能性があることが 具体的に認められることは 用意しないと会するのが相当である」というもの。
誰かが大量に株を買えば、対象企業の株価に影響を及ぼす可能性がある。だからこうした情報も、インサイダー情報と同じ処罰の対象にするという位置付けだ。将来から振り返ってみた時、 私にだけ適用された判例になるのではないか、単なる「村上バッシング」だったのではないか、とさえ疑ってしまう。「あの時いったい何が起きていたのか」と未だに思う 。10年経った今でも、何度考えてみても、違和感を拭えずにいるのだ。(P.261〜263)
→世論の「空気を読んだ」検察のパフォーマンスだったのではないか、という見方もある。自民党幹部を立件せず曖昧にお茶を濁した昨今の対応とは雲泥の差だ。さすが「犬察庁」と揶揄されるだけのことはある。

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